バイク置き場(旧 有馬in東北)

バイク置き場共有したいです

震災直後。

今日も実験で22時帰りとどんどん俺は以前の生活を送り始めています。
がしかし、
震災のときあった貴重な、今後の糧になるだろう体験を忘れる前に書き留めて置きます。俺のためにそして・・・
ある学生の数日。
3月11日
いつものように朝9までに研究室につくように8時頃起き、パスタを食べ、前日なくしていたあったばかりのシャープペンを家の玄関で発見!!!今日はいい一日になると思って家を出た。
朝から前日の続きのこの研究室配属せれて3つ目の実験。
初めて、うまくいかない結果がでて、詳しく調べるために人生二度目のGC・MSを使おうとしていた時。
激しくたてに揺れた。
やばいと思いドアに近づいて行った。
が、すぐに激しい横揺れになり入口付近で壁から手を離すことができなる状況になった。
最初に”死ぬかも”っと頭によぎった。
次に”彼女は大丈夫かもし一人でいたら・・・”っと
そして、一瞬弱まったかと思うとまた激しいい横揺れにが起き、建物は激しい音をたて、電気は消え、若干ながら天井からなにものが落ちてきた。
最後にはいつの間にか神に祈っていた。
いつもはそういうものを信じなって面いたはずなのに。
揺れはとても長く感じた。
大きな揺れが収まると非常階段に一目散で逃げた。
しかし、出口の前には原付が止まっており開かない!!!
俺と先輩が塀をよじ登って外に出て、その原付をどかせる事ができ、他の人も外に避難ができた。
避難しているときもたびたび地震が起き階段がじき建物が崩れるんじゃないかと悪いことばかりが頭によぎった。
外に出たのはいいが避難すべき場所がだれもわからず、建物の前に群がる人々。
自分もそこにいると171についての紙が回ってきた。
これに関してはすごい早い対応だったと今でも思う。
がしかし、地震直後は171すらかからない状況でなにも意味をなさなかった。
この状況でなにをすればいいのか
そのときは意外と揺れの割に身近に目立った被害な〜なんて、友達と話し建物にもなかなか入れそうになかったので、先輩に一言行って、町を出歩くことに。
街中はところどころ壁が崩れているところはあったものの崩壊した建物もなく、地下鉄は止まったようで地下をあるたよなんて笑い話をしている声も聞こえ、意外とすぐに復旧するのではないかと思ったりもした。
このときすでにコンビニには大勢の人がならんでいた。